近況 なぜ急に投稿を始めたか

この数年の流れに答えが出た気がする。

これまでの働き方(パート→派遣)で敢えて正社員にならないスタイルで働いてきた。副業を伸ばそうとしたもののみにならず。

そのまま彼女ともわかれた。

人と違う道を選んでいるつもりが、ただ変化を恐れて引きこもっていた。年齢を重ねて可能性が狭まるのを恐れながらただ何も決定的な変化を起こさなかった。

当時の自分としては、苦手なことをしないで済む生き方で人よりも成果を出せると信じていた

しかし、どうしても避けて通れない部分がある。人とのコミュニケーションだ。

避けられないものから逃げ続け、結局時間とお金だけを失った。

おそらく一部の人からの信頼も。

昨日、夕食後に車で30分くらいの距離にあるコワーキングスペースに出かけた。

道中に元カノのアパートがある。

なんとなく家の前を通ると、いつも車を停めていた場所に業者のトラックが停まっていた。

どうやら引っ越したらしい。

思い返すと、付き合って2年目でマンネリから距離が離れ、会う頻度もどんどん減っていた。

浮気を疑い、喧嘩になった。

詳しくは書かないが、クロであるという確証があった。

結婚の話しもしていたが、一向に進まず、

こちらから意を決して別れをラインで伝えた。

決意がゆらぐのが怖かった。

簡潔な3行くらいの文章で一方的に意向を伝えて

直後に相手のラインアカウントを削除した。

ラインアカウントは削除すると二度と復旧できない仕様になっている。

警告文を見て、むしろ都合が良いと思った。

気持ちが変わる前に済まさないとと思い、二年以上に及ぶやり取りをボタン一つで永遠に消去してしまった。

時間軸を現在に戻す。

家で一切作業ができない怠惰な人間であるため、

ちょっとした書類整理でも衆人環視の力を借りないとこなすことができない。

たまった国民年金関係の書類と購入して4日経つのにアカウント移行の済んでいないiPhone17をもって車で30分のコワーキングスペースに出かけた。

通りがかりの元カノのアパートは見晴らしのいい国道沿いにあり、駐車場もよく見えた。

別れてからその道を何回か通っているが、やはりどの時間帯も車は無く、引っ越したのだという事が確信できた。

元カノへの依存心や未練を強制的に断ち切る事ができるこの状況に感謝せざるを得なかった。

ここからは憶測だが、彼女はおれのことを思って引っ越してくれたのではないかと思う。

なんだかんだ優しい人だったから。

もちろん、こうあってくれればという願望ではある。

でも、これが今の自分にとって最良の解釈だと思うのでそういうことでいい。

歴史は勝者が作るが個人の出来事の解釈はおれに主導権がある。使えるものは使う。

生きるのはそれほど大変なんだ。

彼女からの最大のエールを受け取ったと思う。

仕事と家を往復し、空き時間は腐ってゲームするだけの自分に、喝を入れてもらった。

夜23時すぎに帰宅し、普段入らない湯船に浸かって、普段より丁寧に部屋の掃除をして寝た。

明日からの生活をちょっとでも変えるために。

いつもカフェで読書して、ジャーナリングや考え事、調べ物をするのが好きだった。

人が混み合うのであまり外に出たくない日曜日でも、朝9時前に家を出ればそれなりにスムーズに移動・入店できる

しかし車を走らせながら言いようのない違和感を感じた。

「これ、今やることじゃないんじゃない?

もうアラフォーで、給料は同業者の平均よりいい。おまけに国家資格なので選ばなければ常に需要はある。

そんな状況に胡座をかきろくに人生設計をしてこなかった。

夢を追うという大義名分も耐用年数ギリギリで精神的な支柱に据えるには頼りなく感じる様になった。

積読が電子書籍含めれば100冊くらいあって自分自身に辟易しているが、こんなときはこれを読めという勘が働くようになった。

ジュリア・キャメロン著「ずっとやりたかったことをやりなさい 新版」がほどよく心の緊張をゆるめてくれそうな予感がした。

ADHD気質のため急にあれをしたいと思い立っても必要なものが手元にないことは日常茶飯事で、しかしなんだかんだ文明の利器と資本主義の熱狂的なパッションがそんな不都合をあっさりと解消してしまう。

そんなわけで紙の本を好みながら馬鹿にならない冊数の電子書籍(の閲覧権)を保有している。

通常であれば人は気になった本があればその中身を知りたくてページを捲る。

しかしおれはそのような本の読み方をしたことがほとんど無くて、思考の呼び水として浸かっている。

スマホを使い始めてある程度の年数を経たからなのか、単純な老化現象なのか、なにもないところから自発的に思考のエンジンをかける事ができなくなっていた。

なんらかの情報を脳に入れ、それに対する反作用がきっかけで思考を始める。

本ではなく自分を掘り下げている。

活字をなぞり、自分の深層を探る。電子のピンボールでエネルギーを倍増・可視化するカミオカンデの要領で20代の頃より明らかに重たくなった歯車を動かしていく。

目を通した本の内容はたったの5分前でも不明瞭だが、頭の中ではここ2年くらいの自分にたいする考察が一定の結論に達していた。

「人と違う道を望みながら変化を恐れて何もしなかった人」というありきたりな着地となった。

ここ最近で自分にくだしたジャッジとしては割と冷静で客観的な方だと思う。

しかしここで都合よく別の回答を持ち出す。

「何事にも囚われず、年齢も社会的立場、職種、人間関係諸々の制約を無視し、やりたいことを思い浮かべる」

1,2分考えて浮かんできたのは「おしゃれになりたい」だった。

これを思い浮かべた瞬間、頭のモヤがスッキリ晴れた。

最近見ているyoutubeショートでショーヘイというアメカジ古着を紹介するアカウントがある。そこで紹介していたディッキーズのクロのチノパンをコーディネートに取り入れたいと思っていた。

ささやかな願望だったが、原因不明の頭のモヤを一瞬で晴らしてくれた。

そこから思考が巡り、もう一つの願望として「いい顔でいたい」というのが挙がってきた。

「いい顔」というのは、何かに真剣に取り組んでいるときの自分。自信もそれなりにあり、多少の困難であれば乗り越えて見せるという覚悟もある、さらに行っている内容が人や社会から見ていわゆる「立派である」という条件もある。

要はセルフイメージが高いときの顔。

頭の中の「立派な人劇場」の配役として遜色ない自分を演じきれている状態。

「お金を持っている」という状態が願望として挙がってこなかったのが意外だったが、それはもっと根源的にあるのかもしくは本当に望んでいないのか。

そのへんはまた掘り下げる。

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